帝塚山学院 帝塚山同窓会

なかがわがっきゅうの鉛筆

私は小学校3年4年と担任を受け持っていただいた中川宏美先生にいただいた鉛筆を今も持っています。

中川先生は学期を通して一度も忘れ物をしなかったり、毎日欠かさず日記を提出したり、一日も休まなかった児童に、ご褒美として「なかがわがっきゅう」と刻印された鉛筆をくれました。

鉛筆がもらえた時、それはもう嬉しくて天にも登る気持ちでした。反対にもらえなかった時は、その学期に怠けた自分を恨んだものでした。

2年間6回の終業式で私は通算4本の鉛筆をもらいましたが、当時の私には有り難すぎて、削って使うなんてこと勿体なくてとてもできませんでした。だから私は、この4本の鉛筆は、これから先の自分の人生の中で、死ぬほど大変な困難に立ち向かわなければならない時、いざという時になったら削ろうと、固く心に誓いました。
5年生になった私は受験勉強を始めました。大きな困難に立ち向かうことになってしまいました。その日が近づくに従って私は少しずつ追い詰められていきました。鉛筆を削るのか?という考えが頭をよぎりました。

だけど私はどうしても削りたくなかったので、一生懸命「いざという時」じゃないフリをしました。死ぬほど大変じゃない、これに失敗しても死なない、こんなの全然へっちゃらだ、と自分に強く言い聞かせ続けました。そうして私は戦いに勝利し、最後まで鉛筆を守り抜きました。鉛筆が強い力を与えてくれたことを感じました。

それから20年以上もの間、私の4本の鉛筆は1本も削られることなく、もらった時の新品のままでした。何処かに仕舞い込んで忘れていたのではありません。この20年以上もの間に私は何回も転居しましたが、いつも4本の鉛筆は私の手元にありました。

いざという時すぐに削って戦えるように、常に他の筆記用具と同じ場所に置いてありました。

長女が帝塚山学院小学校に入学することが決まった時には、鉛筆を見せて中川先生のことを話して聞かせました。

その時既に中川先生は引退されていました。また通い慣れた校舎は立て替えられてすっかり新しくなっていました。

私は改めて鉛筆をもらってから20年以上の年月が過ぎたことを思いました。これだけ長い間この鉛筆を削るほどの困難が一度もなかった今までの自分の人生を思い返し、この鉛筆を削る機会はもう一生来ないのかもしれないなあと、ボンヤリ考えたりしていました。

それからしばらくたったある日、ふと気付いたら長女が「なかがわがっきゅう」の鉛筆を使っていました。鉛筆は削ってありました。長女は学校の宿題をやっていました。本当にびっくりしました。自分の目を疑いましたが、間違いなく本物の「なかがわがっきゅう」の鉛筆でした。

それはあまりに衝撃的な光景だったので心臓が軽くバクバクしましたが、そんな私にお構いなしに長女は宿題のプリントに夢中でした。一年生になったばかりの長女には学校で宿題をもらうことが嬉しかったようで、集中して机に向かう表情はとても楽しそうに見えました。

そんな長女の姿を見て、私は正直ホッとしました。物が鉛筆だけに使わない方がもったいない事をしているのだと、本当はずっと前から気になっていたのです。だけど私は自分で使う機会を完全に逸していました。いつ削って何に使えばいいのか、さっぱり分からなくなっていたのです。

そんな私に長女は教えてくれました。鉛筆は字を書く時に削って使えばいいという、当たり前のことを。まさに目から鱗が落ちた思いでした。

後で長女に聞いたところによると、鉛筆は当時幼稚園の年少だった次女が削ったそうです。長女はそれが特別な鉛筆だということを私に聞いて知っていましたが、何のためらいもなく削る妹の様子を見て、てっきり私の許可を得たものと思ったそうです。

ところが次女は削ったきり使おうとしないので、せっかくだから使わせてもらおうと思ったそうです。

次女が鉛筆を削った理由もすぐに思い当たりました。きっと小学生になった姉が買ってもらった新しい鉛筆削り器を使いたかったのです。

鉛筆をセットしてノブをクルクル回すとガリガリいい音がして削れます。だけど今までの鉛筆を直接つまんで回すタイプよりもずっと性能がいいので、すぐに削り終わってしまいます。だから新品の鉛筆を思う存分削った時は、さぞかし嬉しかったことと思います。その時の次女のワクワクした気持ちを想像したら、私も嬉しくなりました。

こうして鉛筆は4本から3本になりました。私は大事な鉛筆を一本失ったことになりますが、本当に大事な物は、実は何も失っていません。本当に大事な物は、中川先生が私に与えてくれた「強い力」です。鉛筆が1本減っても、中川先生が私に与えてくれた「強い力」は1本分減ったりしません。鉛筆は既に私の心の中にあるからです。
中川先生に鉛筆をもらった私の体験、その時嬉しかった私の気持ちは、何があっても失われることはありません。私に与えられた「強い力」の正体は「鉛筆」ではなく、鉛筆をもらった時の「喜ぶ気持ち」だったのです。

自分が親になった今、私は子どもたちに「強い力」を与えたいと思います。日常生活の中で嬉しい・楽しい・面白いと感じる心を育てたい。そう感じる機会を大切にしていきたいと思っています。

たとえ20年間大切にしていた鉛筆を削ってしまったとしても、それで長女が充実した時間を過ごせたなら、次女が楽しい思いをできたなら、私は嬉しいです。